あえいずの日記

辞書を読んで感想を書きとめる

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

仮名

なんでもいいなら少額でも命名権売れるんじゃない?自分は買いたいとは思わないけど。

亀の年を鶴が羨む

寿命千年の鶴が寿命万年の亀を羨むような、欲に限りがないという例え。しかしながら命の尊さの観点からは、長寿を願う欲求を誰が否定できようか。 ⋯あ、不摂生な生活をして自分の命さえも大切にしない人もいっぱいいるか。

亀は酒をよく飲むと言われている。亀は人間に対して意思表示できないので、飲むとしたらアルコールハラスメント。本当に酒を注いでいいのは亀じゃなくて瓶(カメ)の口。

大辞泉によると和歌や俳諧の最初の5文字のことを「冠」というらしいけど、初句が字余りで6文字でも最初の5文字が冠なのでしょうか?辞書の誤字(5字)じゃないの?

牙虫

幼虫は肉食、成虫は草食。人間と同じ味覚か!

夏眠

動物が乾燥を防ぐために夏に活動休止すること。人間も夏に朝起きられない人は加湿器使うといいのかもしれません⋯

紙屋院

平安時代の官立製紙所。今でいう国立印刷局でしょうか。平安時代ならこの仕事も世襲でしょうね。倫理観も一緒に世襲して。

紙吹雪

降ったあとの掃除が手間。こんな時日本銀行券で紙吹雪をすれば自分で回収しなくても誰かが掃除してくれます!ただコスパ悪すぎて財布が大寒波の猛吹雪。

紙一重

御菓子を裸で持っていくのと紙に包んで持っていくのとでは、紙一重の差であって紙一重の差では無い。外紙捨てたら賞味期限わからなくなるやつあるからね。

紙花

遊里で遊女に祝儀として与える白い紙。後日換金できる。多分セキュリティは引き取り人の遊女の顔認証。小切手のような当時としては先進の金融システムを採用しているあたり、風俗の風俗たる所以だと思った。

神議り

出雲大社で毎年神々が農業や男女の縁結びについて話し合いをしているらしい。神々も議会制なら結論の納得感も増すというものです。

神の御面

地形のこと。国土を神の顔に見立てての言葉。今までずっと絵踏してたのか。なんとも思ってなかったわ神様ごめん。

神の旅

神々が出雲大社に集まるための旅。瞬間移動しないんですね。神々が暇を持て余して遊んでいるわけではないでしょうが。

神の存在証明

これはさすがにAIにもできまい。宗教勧誘員はAIに最後まで奪われない仕事。ってそもそも仕事じゃ無いか。

かみのけ座

星座の中に銀河団がある。顕微鏡を手に入れたら髪の毛は真っ先に拡大してみたいもののひとつですが、望遠鏡を手に入れたらかみのけ座をみてみたいですね。

上の句

短歌では5・7・5、俳句では最初の5。俳句は短歌を短くしたものなので、短歌の最初の5は「上の句の中の上の句」ですね。上の句の中に入っている上の句。上だったり中だったりややこしい。

雷おこし

大阪の粟おこしに対抗して東京の名物。濡れ手で粟には電気は良く効きそうです。

雷神のことも「雷」という。神を略して呼ぶ人の傲慢さと、神なのにへそフェチの雷神。

神鳴

雷が落ちた時に雷が腰を打って医者に針治療してもらうという、痛快でシビれるストーリーの狂言。雷の針治療だけに。

紙テープ

投げて祝意を表す。テープを回収する掃除係への敬意は誰が表す?

噛み潰し

釣りに使う鉛の重りで、噛んで糸に固定する。鉛を口に入れる発想は理解できない。抜けた乳歯とっておいたら代わりに使えるんじゃない?

髪綱

頭髪でつくった綱。寺に奉納することもある。今髪の毛送りつけたら犯罪レベルの嫌がらせですが⋯

神集い

毎年出雲大社に神々が集うらしいですが、神には密も自粛もないでしょうね。マジ神。

花蜜

「みつ」といえば真っ先に思いつくのがハチミツで、花蜜はその影に隠れてしまっていますが、最近一気に3つも「みつ」が新たに出てきてしまい、花蜜の存在感が危機的状況です。花蜜の「みつ」は虫に運んでもらい広めるための蜜なので、3みつとは真逆の方向性…

神叩き

神頼みのこと。頼み込む相手を叩くの?多分叩いているのは自分の手と手。

剃刀負け

剃刀で剃って皮膚の炎症を起こすこと。「刀」だけに勝負の世界だから「負け」という表現でしょうか?勝負の分かれ目はシェービングクリームにあり。

紙銭

三途の川の渡し銭として死者の棺に入れる、銭形の紙。 やっぱり本物の銭は棺に入れたくないですよね。仮に燃やして回収できても流通させないで欲しい⋯

紙相撲

角界こそがいち早く2次元化に取り組んだクールジャパンの先駆け。最初は叩かれましたが、それも昔のことです。趣味が多様化して紙相撲叩いて遊んでいる場合じゃなくなるから。

神島

蓬莱山の別名。山なのに島になっちゃった。潮の満ち引きで陸地と繋がったり離れたりしてるの?と思ったら蓬莱山は架空の山だった。設定が細かいな。

紙芝居

昭和6年ごろから、子供に飴を売る手段として演じられた。当時としては革新的ビジネスアイデアだったと思うのですが、紙が飴でベタついていないかだけが心配です⋯